恩師(鶴恵剛先生)との再会
2017/ 3/ 8
中村 巧さん(21回生)

 最近、なんだか頻繁に葬式に参加することが多い様な気がしていた。はたと気づいたのが今までお世話になってきた人たちがすでにお亡くなりになっているのではないかと思い、担任だった鶴先生に連絡を取ろうと手を尽くしたがうまくいかなかった。そこで昨年初め、同窓会にお願いしたところその日のうちに連絡が取れた。すぐに再会のお約束をしたのだが、私も未だ会社勤めをしていて双方ともに都合がつかずに日が流れていった。

 その年(昨年)の夏にアメリカにいる次男一家が久しぶりに日本に里帰りをすることになり私の両親の墓参りを兼ねて北九州小倉に行くことになった。そこで鶴先生ご夫妻と私たちが宿泊していたホテルのラウンジで再会することができた。
 思えば鶴先生には入学早々初めての先生の数学の試験でいきなり落第点を取って頭をひっぱたかれた強烈な思い出がある。といった次第で先生には何かと心配のかけ通しだったが高校を卒業して以来あまりお会いしていなかった。
 先生ご夫妻は今ではよく日本国内をはじめ海外等もお二人で旅行をしてクルージングをお楽しみのようだった。私たちがクルージングなんて息子達が幼児の頃、関西造船学会主催の家族旅行「ミシガンに乗って琵琶湖クルージング」に参加したくらいのものだ。私たち夫婦もこの先、私の退職後暇が出来るので是非見習いたいものだと思った。

 会話も弾み楽しい時間はあっという間に過ぎ本当に名残惜しかったが次男一家の帰国も迫っており先生ご夫妻とお別れしてすぐに神戸の我が家に帰ることになった。車で山陽自動車道を走行している途中で先生から電話があった、先生も車を運転して無事ご自宅に帰りついたそうだ。もう80歳になっているのに本当にお元気でいらっしゃる。

 大学を卒業して就職した業界が第一次オイルショック後の不景気で構造不況業種といった按配で日本支社(本社は北欧にある)では仕事が少なくて海外で長く過ごすことになった。お陰で息子たちの日本での教育は小学校低学年のほんの数年だけで後はブリテッシュスクールやアメリカンスクールですごした。そのことの影響で彼らのお嫁さんは外人さんということになって言葉があまり通じない。言葉はあまり通じなくても孫は本当に懐いてくれる。ありがたいことだ。

 すでに私が通っていた中学校(沢見中学)は廃校になり、通っていた大学は福岡市内から郡部に移転して専攻した学科も名前が変わっていて本当に懐かしいのは高校の同窓会だけということになった。思えば私の高校在学中に創立30周年記念式典が催され、私が北欧某国の首都にある本社に勤務していたときには戸畑高校の創立50周年事業の寄付の依頼の葉書が届いた。よくも私の住所を探し出したものだと驚いた記憶がある。たぶん創立100周年記念は見届けられないだろう。同窓生皆様の御健勝をお祈りしたい。





 右側にお掛けになっていますのが、
 「鶴」先生です。